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​Richardのこと (小林 龍生: JLreq WG リーダー)

Richard Ishidaとの付き合いは、長い。ぼくがユニコードやW3Cの係わってきたほぼすべての期間と重なる。

最初の出会いは、ぼくが最初に参加したInternational Unicode Conferenceだったから、1995年9月。『ユニコード戦記』には、Donald Knuthの基調講演のことしか触れていないが、もう一つ、英語がきわめて不得手だったぼくにも理解できた講演があった。それが、Richardによるアプリケーションやサービスを国際化する際に考慮しなければならない国や地域による文化的差異についてのレクチャーだった。この時、Richardは、まだ、UKのXeroxに在籍していた。

Richardが挙げた例を、いまだに鮮明に覚えている。ギリシャでの

の扱いについて。Richardが勤めていたXeroxは、世界中でコピーマシーンを売っている。そのコピーマシーンには、必ず液晶か何かのUIパネルがついている。そして、何かを禁止するマークとして、しばしば、この手のひらマークが使われる。しかし、Richardの話によると、ギリシャで、UIデザインに手のひらマークを用いるととんでもないことになる。このマークは、相手を侮蔑する印で、場合によっては、決闘にまで至る危険があるという。

そのころから、Richardのレクチャーは、IUCの講演の中ではダントツの一番人気で、毎年の定番になっていた。

 

その少し後、斎藤信男さんの尽力で、SFCがW3Cのホスト機関になった。ジャストシステムもユニコードコンソーシアムと同様にW3Cのフルメンバーになり、例によってぼくがレプレゼンタティヴとなった。しかし、当初、日本における会員企業のW3Cへの係わりは、お世辞にも積極的、効果的であるとは言い難かった。どういう機会だったかは、どうしても思い出せないのだけれど、Richard、村田真、それと確かBart Bossだったかで、語らいあって、WG横断的にi18n(internationalization)に関する事柄をレビューする仕組みの必要性について、熱く語り合った。Mark Davisもいたような気がする。それが、W3Cの中にi18n関係のWGを立ち上げる契機となったように思う。

 

Richardには、徳島のジャストシステムでもレクチャーをしてもらった。

一太郎とATOKというきわめて日本ローカルなプロダクトを世に出しつつも、浮川夫妻には、いつかは世界にはばたきたいという夢があった。ぼくは、UTCへの参加を通して、i18nやglobalizationを考える際に、単に表層的な言語の相違だけではなく、その背後にある文化的な差異についても考えることが必須のことだと思い始めていたので、Richardが来日する機会にレクチャーを依頼することを強く進言した。

もちろん、Richardは快諾してくれ、事務的な手続きを日本のXeroxの担当者と詰めることになった。ぼくは、顎足を負担すればいいだろうと、軽く考えていた。しかし、日本の担当者は、好意的友好的に接しつつも、そのころのぼくの常識からは考えられない金額の対価を要求してきた。聞くところによると、日本のXeroxは、Richardを日本に呼んで社員のトレーニングを依頼するに当たって、かなり高額の対価をUKのXeroxに支払っている、とのことだった。

そうなんだ。専門家の知識や能力とはそういうものなのだ、と思い知らされた。

Richard個人には、とびきり旨い阿波牛の鉄板焼きをご馳走した以外、報酬は支払わなかった。

 

 

JLreqもRichard抜きでは、日の目を見ることはなかっただろう。直接的には、面倒なW3Cのビューロクラシーとの格闘をFelixが一手に引き受けてくれていたが、背後には、常にRichardがいた。JLTF(Japanese Language Task Force)のf2fミーティングの折には、必ずRichardもいた。Felixがドイツの大学で教鞭を執るために日本を離れた後は、Richardが英語版のポリッシュアップから、JLreqテキストをW3Cの正式なWorking Group Noteとして公開するための面倒な手続きに至るまで、すべて引き受けてくれた。

 

下記は、JLreqの日本語版を東京電機大学出版会から出版した際に、ぼくが書いたあとがきの一部。

 

2009年6月。“日本語組版の要件”第2版公開。

 長い日々だった。公開直前、Felixは母国ドイツでの永久教授資格を獲得し、ボツダム応用科学大学で教鞭を執るため、家族と共に旅立った。W3Cとチームとのパイプ役と、英語版のレビューは、ぼくにとっては10年来の友人でもあり、I18NCore-WGのTeam Lead、Richard Ishidaに託された。Richardはぼくたちの英語テキストを丁寧に読み、数々の疑問を呈してくれた。あるものは、簡単に答えられたが、あるものは、説明のために苦闘し、最終的には日本語の文章も変更せざるを得ないような局面を何度も経験した。Richardが“分かった”と言い、ぼくたちの冗長で泥臭い英語を、彼自身の洗練された英語で書き直してくれて、やっとその部分が完成に至る。英語が主でも日本語が主でもない。どちらの版を読んでも、同じ実装が出来るように、ぼくたちはそんなテキストを目指した。

 

EPUB戦記』の第3章第1節「JLreqという出来事」の出だしをぼくは、下記のような文章で始めている。

【JLreqという出来事】

JLreqという出来事

2014年10月1日 コロンボ スリランカ

ISO/IEC JTC1/SC2の会議で、コロンボに来ている。Twitter上の神崎正英さんのつぶやきで、下記のサイトのことを知った。

https://www.w3.org/International/wiki/Improving_typography_on_the_Web_and_in_eBooks

そこに、下記のような記述がある。-

The flagship document is Requirements for Japanese Text Layout. The information in this document has been widely used, and the process used for creating it was extremely effective. It was developed in Japan, by a task force using mailing lists and holding meetings in Japanese, then converted to English for review. It was published in both languages.

震えるほどの喜びを感じる。

喜びを、Richard Ishidaにメールで伝えたら、次のような返事が返ってきた。

Hi Tatsuo-san、

Ohisashiburi desu!

Yes, JLreq has been used in many, many places and has made a big difference. Once again, very many thanks for all your hard work to make it happen, and setting such a great example for others to follow!

I'm quite excited about the idea of Tibetan, Mongolian and Uighur layout requirements (not forgetting the Chinese Simplified+Traditional effort that is already under way). I hope the Beijing W3C host is able to push all the right buttons to get the needed experts working together on the task force. There was certainly a lot of enthusiasm expressed during the workshop we held in Beijing a couple of weeks ago, with representatives of those script communities in attendance.

Cheers,
richard

ぼくたちの活動の成果が確実に拡がりを持ち始めている。2005年のベルリンでのEllikaやFelixとの出会いが、今世界のさまざまな言語文化の場で大きく花開こうとしている。

『EPUB戦記』の本文にも書いたことだが、JLreqのやり方が、さまざまな言語に適応されているということを、ぼくは、当初、うかつにも知らなかった。神崎正英さんのTweetで知るというマヌケぶり。

Richardとはそんなヤツなのだ。Richardとぼくの関係は、そんなものだ、と言い換えてもよい。特に恩を売るでもなく、恩に着るでもなく、当然の責務としてJLreqに参画し、その成果を極当然のこととして、日本語のためだけではなく、世界中のあらゆる言語文化のために活用している。

そして、近ごろ、そのようにして獲得した知見を、今度は、また、日本語の為に生かそうとしている。

 

『EPUB戦記』には、もう一個所、Richardが登場する。

2013年にW3Cの主催で東京で開催されたeBook Workshopで、Richardとぼくが共同議長を務めた。

振り返ってみると、このころすでにW3CはeBookへの関心を持っており、それが、後にW3CとIDPFの合流につながっていくことになる。

 

こう見てくると、ぼくにとっても、日本のIT文化にとっても、そして日本の電子出版全般にとっても、Richardは、まさに、空気のように、必要不可欠な存在なんだなあ、とつくづく思う。彼こそ、Globalな意味での、ミスターi18nだな。

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