第10回 ものを考えるものさし

開講日: 2019年12月10日

​講師: 劇作家/脚本家/演出家 鈴木聡氏

第10回となる今回は、劇作家・脚本家・演出家の鈴木聡氏による講義が行われた。


鈴木氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社博報堂に入社。


コピーライター、クリエイティブディレクターとして広告制作を手掛ける傍ら、劇団「らっぱ屋」にて脚本・演出を担当する。


また、現在までテレビドラマや映画の脚本を多数執筆されている。

演劇もライブも「生身のもの」という点で共通している。


今日のお話は生身のアナログな人間のコミュニケーションををベースにしている。


これはもう滅びていくものなのだろうか。

演劇をする人間には変わり者が多いといわれる。世間から自由に生きたい、あるいは窮屈に感じていると思う。


観客のいる舞台は、人間性を開放できる場所。観客がいるから、人間性を開放できると言える。


良い芝居は、「その場で生まれる」。台本は決まっているが、その瞬間に生まれたように演じるものである。そのために、役者はセリフを「忘れるまで覚えろ」と言われている。


観客は、生き生きとした変化が生まれるさまを「面白い」と感じる。その瞬間に生んでいるから、生き生きとして面白い芝居となる。

つかこうへいの代表的戯曲に『熱海殺人事件』がある。


この物語は「つまらない平凡な殺人事件」を犯人と刑事がドラマチックにしていく構成で、まさに「ドラマは待っていても来ない」好例といえる。また、作品からは「人間はドラマチックに生きたい生き物なのだ」というメッセージが読み取れる。このように、運命や「劇的な何か」がなくとも誰しも、生きようと思えばドラマチックに生きられるものだと思う。

映像作品と対比したとき、演劇は、「場の共有」もしくは「空気の共有」が大きな特徴である。


これは、例えば飲み屋で周囲の客と空気を共有している感覚に近い。自由度が高く、目の前の客に熱ごと伝えられる。


娯楽が多様化する中で、あえてその場限りの空気を共有できることから、近年の音楽業界ではライブの人気が急激に高まっているが、演劇も音楽ライブに通じる「ライブ感」を感じられるものであるといえる。

観客の規模という点では、映像、例えばテレビドラマが際立って大きい。


朝の連続テレビ小説で視聴率25%を獲得したものがあったが、これは単純計算で延べ2500万人が視聴したことになる。演劇では400人規模の会場で10回公演したとしても観客は4000人だから、圧倒的な差がある。もっとも、それぞれの脚本を書く苦労は変わらない。

演劇は、その場限りのものであり、一期一会の体験である。そのため、「消えてくれるからこそできること」「見せちゃいけないものを見せる」こともできる。「消えていくこと」そのものに特に価値があるわけではないが、観客は必然的に集中して観る様になる。そのため、演劇の台本は観客の集中力が高い前提で書いている。例えば、何を考えているのかすぐわからないように、会話の面白さを楽しませるように構成を行う。観客に発見させるように、想像力を使わせるように表現するのがサービスだと思う。これが例えばテレビ向けの脚本であったら、視聴者にチャンネルを変えられてしまうので、わかりやすく、話を進めるように変えなければいけない。


人生とは何か、常に考えている。


そして、考えたい人は本を読む。


何が「本当」かは分からないが、出版業界は何か信頼できるものであってほしい。「こういう考えもある」と示してくれるものであってほしい。


良識や、「ものを考えるものさし」を提示してくれるものであってほしい。