fantasaiと日本語組版

​思い出と功績を日本人関係者が振り返る

語り手

小林龍生

村田真

​下川和男

fantasai のハンドルネームで知られる Elika Etemad 氏はイラン系アメリカ人。学生時代より創成期のWebに興味を持ち、W3CのInvited expertとして活躍。CSS仕様の多くを策定し、日本語組版に関係するモジュール CSS Text、CSS Writing Modes には彼女の貢献が大きい。

彼女にまつわる思い出や功績を、交流のあった日本人関係者3名が回想する。

fantasaiと小林龍生(2010年撮影)

「日本語組版の要件」策定のきっかけ

小林龍生

国際標準アーキテクト。小学館で編集者として勤務の後、転職した(株)ジャストシステムで文字コードの国際標準化活動に関わる。Unicode Consortium ディレクター、ISO/IEC JTC1/SC2 議長、W3C Japanese Text Layout Task Force 議長などを務める。本稿は著書『EPUB戦記』からの引用。

▼2005年4月。ドイツ、ベルリン。

ぼくは、再びベルリンにいた。前の年、2004年の秋、SC2の議長として初のJTC1総会に出席した。その折のことは『ユニコード戦記』にも書いた。SC23 議長だった戸島知之さんに誘われて観に行ったシュターツオパーの椿姫がとても印象深かったので、再度オペラを観にベルリンに行きたいと思ったのだった。ちょうど、国際ユニコード会議がベルリンで開催されるという。この会議で、一つの発表を申し込み、無事採択された。“Enhancing Unicode Expression with Interlinear Annotation and Replacement Characters”というタイトルで、標準化の際、煮え湯を飲まされた思い出のInterlinear Annotation Tag(いわゆるルビタグ)を用いて、UCSで符号化されていない外字をイメージデータとして交換する可能性について論じたものだった。

この会議の場で、エリカ(Elika Etemad)の“Robust Vertical Text Layout and CSS3 Text: Using theUnicode BIDI Algorithm to Handle Complexities in Typesetting Multi-Script Vertical Text”という発表を聞いた。エリカはそのころプリンストン大学の学生。W3CのInvited expert として積極的に活動していた。

ここで、ちょっと技術的な背景を説明しておこう。

 

エリカの発表のタイトルにあるCSSとは、カスケーディング・スタイルシート(Cascading Style
Sheets)のこと。CSSは、HTMLやXMLを中核とするW3Cの構造化文書規格群のなかで、文書の内部構造とは独立にレイアウトを規定する役割をもつ。文章を書いたり読んだりするとき、その文章がどのようなレイアウトで表示されるべきかという問題は、存外と根が深く長い論争の歴史をもっている。

 

【中略】

 

そのCSSを用いて、アラビア語やペルシャ語、ヘブライ語などの右から左に向けて書く言語や、日本語や中国語などの縦に書く言語なども含めた多様な書式を、構造とは切り離した形でどのように表現すればいいか――エリカの提案はその方法論に関するものだった。この発表は、本人の力量と発表に至るまでの多大な努力を読み取って余りある優れて充実したものだった。しかし、日本語を母語とし職業編集者としての経験もあったぼくには、いくつか疑問に思われる点があった。発表後、ぼくは「ルビには、グループルビとモノルビがあるけれど、その振る舞いのちがいはどう表現するの?」という質問を投げかけた。

 

質問に対するエリカの答えは、その何十倍もの質問攻めだった。日本語の読み書きが不自由である
にもかかわらず、彼女は手にしたJIS X4051:2004(日本語文書の組版方法)の図版だけを頼りに、なんとか日本語組版の仕組みをCSSの規格に反映させようと、悪戦苦闘していたのだった。職業編集者としての経験があるとはいえ、組版や印刷現場についてはしょせん素人に毛の生えた程度だったぼくの知識では、エリカの質問に十全に答えることはできなかった。

 

ベルリンからの帰国直後から、ぼくは、ベルリンのカンファレンスにも参加し折よくW3Cのアジア地域スタッフとして日本に住居を移してきたフェリックス(Felix)佐々木さん、ジャストシステムからのW3C Advisory Committee Representative だった大野邦夫さん(のちに職業能力開発総合大学校教授)らと語らって、英語による日本語組版処理の要件の必要性を訴えてまわった。

 

そのころJAGAT(日本印刷技術協会)の常務理事だった小笠原治さんが、強い関心を示してくれた。小笠原さんの尽力で、JAGAT内にJLTF(Japanese Layout Task Force)のいわば前身となる“日本語スタイルシート作業部会”と称するグループが組織化されることになった。この作業グループには、大野邦夫さんを座長に、日本エディタースクールで長く日本語組版教育に携わっていた小林敏さん、電算写植システムの最初期からの開発技術者で当時JAGATの研究スタッフだった小野澤賢三さん、アンテナハウス株式会社でCSSやCSL-FOを用いたフォーマッターの開発に直接かかわっていた石野恵一郎さん、文字コードの標準化活動でも旧知だったマイクロソフトの阿南康宏さんらの参画を得ることができた。

EPUB 3の策定とfantasai

村田真

慶應義塾大学特任教授。マークアップ言語XML1.0やスキーマ言語RELAX NGの仕様設計に携わった。EPUB 3の策定では多言語対応を担うEGLS(Enhanced Global Language Support)サブグループのリードとして日本語組版の導入に取り組む。

▼fantasaiとの対面

私と会う前のfantasaiが考えていたのは、CSS縦書きをIDPFで勝手に進めるなと主張することであったはずだ。すでに、IDPFには独自仕様の前科がいくつかあり、誰の利益にもなっていなかった。


私がfantasaiに訴えたのは、CSSではない機構によって縦書きに対応する電子書籍フォーマットがすでにいくつか国内には存在しており、それらを統一したうえで国際規格にしようという動きがあることだった。この事業がもし成功してしまえば、ウェブ技術の縦書き対応は未来永劫行われないだろう。それはfantasaiにとっても、まったく承服しがたいことであるのは間違いなかった。

 

fantasaiは私の訴えを聞き入れ、縦書きに急いで対応する決心をしてくれた。彼女は日本観光を放擲してCSS縦書きに全精力を傾けた。

EGLS台湾会議 (2010/10/5-6)

EGLS札幌会議(2010/8/03-04)の時点では、縦書きについての要求仕様が決まっただけであり、実現方法はまったく決まっていなかった。なお、札幌会議にはfantasaiは参加していない。

EGLS台湾会議こそが、縦書きの実現方法を決めた場である。日本での滞在中に検討した内容をもとに、fantasaiは説得力のある議論を展開し、CSS Writing Modesによって縦書きを実現すべきと参加者を説得した。CSS WGの主要メンバーが推進してくれるのならということで、fantasaiの意見に反対する人は誰もいなかった。

 

EPUB WGミーティング (2010/10/18-20)

 

札幌会議と台湾会議の成果をもとに、EGLSサブグループはEPUB WG会議に乗り込んだ。さらに、この時点でWebkitの縦書き実装もbug fixとして始まっていた。EGLS全体としての報告は村田が行ったが、縦書きを含むCSSについての説明はすべてfantasaiが担った。

EGLSサブグループの結論にたいしても異論がなかったわけではない。しかし、二回の会議とWebkit実装を揃えたEGLSサブグループの結論には重みがあり、ほぼそのまま通すことができた。

 

▼Writing Party (2011/01/11-12)

CSSのEPUBへの導入の細部については、2011年の1月にCupertinoにあるAppleのオフィスで開かれたwriting partyでほとんど確定した。この会議が、EPUB 3における縦書きの指定方法の細部を決めた。これはIDPFの公式なWG会議ではなく、エディタなどが集まって細部を決める会議であった。

この会議にfantasaiは出席し、大きく貢献した。CSS WGにおいてIDPFの動きを説明するのも彼女の宿題になった。

当時、IDPFとCSS WGとの関係がこじれていたわけではないが、問題が起きてもまったくおかしくはなかった。CSS WGがまだ確定していないものをIDPFはEPUB3仕様として制定し普及させようとしているのだ。反発を感じている人たちは確実にいた。fantasaiは、CSS WGの電話会議で、EPUB仕様に入れる必要性を強く説得して、Working Draftを出すことを押し切ったようだ。

会社の4C会議室で生まれたCSS Text

下川和男

イースト株式会社代表取締役社長(2010年当時)。日本電子出版協会副会長。総務省より電子出版環境整備事業の一部を受託し、EPUBに日本語組版を導入する活動を支える。

2010年9月25日から10月4日まで、fantasaiを新宿のイースト、4階の6坪ほどの会議室に閉じ込めて、CSS Textの第一稿(Editor’s Draft)を書いてもらった。


その経緯は、4月に日本電子出版協会(JEPA)のEPUB研究会を村田真さん中心に立上げ、村上真雄さんも参加。村上さんから、fantasaiが友人のお見舞い?で来日するので、その機会に仕様書を書いてもらおうとの提案があり、それが実現。彼女を10日間ほど閉じ込め、そこに石井宏治さん、村田さん、小林さん、村上さんらが通い、仕様を策定した。fantasaiを含め全員ボランティアでの策定だった。イーストは夕食をご馳走しただけ(記事上部の写真)。


出来立ての仕様を村田さんが主宰した「EGLS台湾会議」でレビュー。縦書きを使っているのは日本と台湾だけで、中国、韓国はすべて横書きなので、大歓迎された。

 

10月25日にはフランス、リヨンで開催されたW3C TPACでfantasaiが発表。TPACの様子は村上さんが詳しく報告している。

 

11月に総務省の「電子出版環境整備事業」の一部をイースト、JEPA、アンテナハウスで受託し、彼女にも支払うことができた。

2015年、CSS WMの仕上げ作業でfantasaiが来日。その頃は総務省(NTT)の予算も付き、品川のNTTソフトの立派なビルで作業する予定だったは、石井さんから連絡があり「fantasaiがイーストの4Cを使いたいと言っている」とのことで、また、1週間ほど使ってもらった。嬉しかった。