私のゴールは世界中の言語でCSSを使えるようにすること

EPUB 3で縦書きを実現した、fantasai(エリカ・エテマッド)に聞く

小形克宏(電脳マヴォ合同会社)

はじめに

 この原稿は2013年に8割ほど書いたまま放置していたものを、Advanced Publishing Laboratory(APL)の「fantasaiの業績を日本でも知ってもらいたい」という意志に促され、サルベージして完成させたものです。したがって文中の「現在」は2013年中頃であることをお断りします。

 

 原稿を放置したまま今日に至ったのは、私の怠慢以外に理由はありません。取材を受けてくださったfantasai、通訳をはじめ、さまざまな便宜を図ってくださった村上真雄・由美ご夫妻には、大変なご迷惑をおかけしたことを改めて深くお詫び致します。

 

 このような中途半端な原稿ですが、多少なりとも読めるものになっているとすれば、それはfantasaiの努力や達成が本物だったからではないでしょうか。そのことをお伝えできれば良いのですが。(2018年9月5日 筆者識)

▼EPUB 3における陰の功労者

 

 電子書籍市場が順調に成長している。今年6月にインターネットメディア総合研究所が発表した調査によると、2012年の電子書籍市場は前年から約100億円増の729億円であることが明らかにされた[1]。とくにスマートフォンやタブレット端末に向けた電子書籍の伸びが著しいという。

 

 もっとも、こうした業界の活況は一朝一夕にできたものではない。中でもそれまで横組みが当たり前だった電子書籍において、縦組み表示や両端揃え、ルビなど、日本語組版特有の組み方を実現させるのは大きな技術的チャレンジだったはずだ。

 

 そもそも現在の状況は、2010年1月のiPad発売にはじまる官民挙げた一大ムーブメント、「電子書籍元年」に端を発する。その当時、電子書籍におけるオープンな世界標準フォーマットとして期待されたのが、米国の電子出版業界の標準化団体、IDPF(International Digital Publishing Forum)による「EPUB」という規格だった。しかしその頃のEPUBバージョン2は、縦組みやさまざまな日本語組版ルールには対応しておらず、日本語書籍用の規格としては大きな問題を抱えていた。そこでそれらを解決したバージョン3、「EPUB 3」が待望されることになった。

 

 ここで一人の女性をご紹介しよう。名前をElika J. Etemad(エリカ・エテマッド)という。もっともハンドルネームの “fantasai” (ファンタサイ)の方がよく知られているから、ここでもそう表記しよう。彼女はまだ30歳そこそこの若さながら、ウェブ標準団体「W3C」(ワールドワイドウェブ・コンソーシアム)の中で、CSS(Cascading Style Sheets/カスケイディング・スタイル・シート)を策定する「CSSワーキンググループ」の中心的メンバーの一人だ。

 

 CSSはウェブページにおけるレイアウト指定のための仕様(規格)だ。W3Cでは仕様の取りまとめ役を「エディター」とよぶ。彼女はこれまで数多くのCSSのエディターを務めてきたが、その中には縦組みの指定方法をさだめた “CSS3 Writing Modes” [2]や、禁則処理や行末揃えなど日本語組版特有のルールをさだめた “CSS3 Text” [3]など、日本語組版に深い関わりをもつCSSが多く含まれている。

 

 EPUB 3は多くの苦難の末、2011年10月出版に漕ぎ着けた。しかしEPUB 3自身では縦組み等を規定しているわけではなく、前述した種々のCSSをそのまま引用することで、縦組みや日本語組版ルールへの対応を果たしている。EPUB 3に限らず、先行規格がすでに実現している機能については、実装しやすさや安定性を確保するために、先行規格をまるごと引用するのが一般的だ。

 

 つまり、EPUB 3が縦組みを規定できたのは、そこで引用された種々のCSSがあったからこそなのだ。そして、それらのCSSをまとめるのに大きな貢献をしたのがfantasaiだ。彼女は2010年9月にはるばるアメリカから来日し、日本人エンジニア達を巻き込んだ一種の「合宿」のなかで、集中的に前述のCSSを仕上げていった。

 

 中国には「飲水思源」(水を飲んだら井戸を掘った人を思い出しなさい)ということわざがある。私たち日本の電子書籍ユーザーにとって、彼女こそが「井戸を掘った人」ではないか。

 

 今年6月、多忙の合間を縫って来日した彼女に話を聞く機会を得た。いったいどんな思いがあって、縦書きのウェブページを作る仕様をまとめたのか、彼女自身に語ってもらうことにしよう。

fantasai(2013年6月撮影)

▼HTMLとのファースト・コンタクト

――まず最初に、あなたが子供の頃のお話をお聞かせください。

 わたしは1984年にニュージャージー州で生まれました。両親はイラン人です。彼等は1968年に留学のためにアメリカにやってきました。一度は大学で教えるためにイランに帰りましたが、1979年の革命でまたアメリカに戻りました。

 

 父はインペリアル・カレッジ・ロンドン(イギリスの名門理系大学)で学位をとってから、ペンシルバニア大学の大学院で物理学のPh.D.(博士号)を取得しました。母はペンシルバニア大学で数学を専攻し、のちに1983年、同じくペンシルバニア大学でコンピュータ・サイエンスのPh.Dを取得しました。

 

 私は英語とペルシア語(ファールシー)のバイリンガルで育ちました。学校に通いはじめて読み書きを習うにつれ、英語の方が上手になりました。ペルシア語はペルシア文字を学びましたが、学校で勉強した訳ではないので、読み書きはできません。幼稚園は私立に行きました。小学校、中学、高校は公立学校です。

 

――小さい頃、あなたはどんなものが好きでしたか?

 

 私はパン焼きや、キャンプやハイキングをするのが大好きな子供でした。ものを作るのに興味があって、ニット編みや裁縫を習いました。それから本を読むのも大好きでした。好きなジャンルはファンタジーです。小学校3年生くらいからますます本を読むようになり、中学校に入る頃には2日で300ページくらい読むようになりました。授業中でもおかまいなしに自分の本を読む私を、先生は大声で𠮟りました。「あなたの本を閉じなさい!」

 そんな私に両親は言いました。「エリカ、本ばかり読んでいないで、周りの人達に注意を払いなさい」だから私は9年生(中学3年)の頃、本を読むのを少しだけにしました。高校では学校の勉強やマーチングバンドで忙しかったので、宿題以外の本はあまり読みませんでした。

 

 1998年、14歳の中学生の頃でした。私は1冊の本と出会います。それは母が自分で読むために買ってテーブルに置いていた本でした。もう最初のページから引き込まれて、1日中その本を読んでいました。Laura Lemayが書いた “Teach Yourself Web Publishing with HTML in a week”(1週間で学べるHTMLによるウェブ・パブリッシング、1995年、ピアソン刊)[4]という本です。

 

 私はすぐさま自分でウェブページを作ろうと思いました。この本のおかげでウェブページの作り方は分かったけれど、内容までは思いつかなかったので、まずHTMLそのもののページを作ることにしました。

 

 ウェブページを作るとフロッピーディスクに入れて友達に渡しました。その友達もまたHTMLとCSSを勉強中で、セーラームーンのウェブページを作っていました。彼女は言いました。「素敵なウェブページじゃない!」だから私は彼女にどんどんフロッピーを渡しました。そのうち彼女は言いました。「これはオンラインにするべきよ。だって他の人も見ることができるでしょ?」そこで私は、1999年1月にTripod(1992年創始のフリーウェブサービス)にウェブページを開設することにしました[5]

 

――fantasaiという名前は、その頃からのものと聞きました。

 

 ええ、Tripodのユーザーネームです。本当は大好きだったファンタジーから “fantasia” にしたかったけど、すでに他の人に使われていたので、語尾を少しいじって “fantasai” とすることを思い付きました。fantasia … fantasai。よく数字を加える人を見ましたが、馬鹿げていると思っていたので、それはしたくありませんでした。

 

――1999年というと、MicrosoftとNetscapeが争った「ブラウザー戦争」の頃ですね?

 

 そうです、新しいHTML4ができたばかり、Netscapeが最も人気のあるブラウザーで、バージョン4が出たばかり、そのNetscapeをMicrosoftのInternet Explorerが追い越そうと頑張っていた頃のことです。

 

 その頃ウェブページを作っていて、私はNetscape 4のCSSのサポートに関するバグを見つけました。そこでNetscapeのホームページでフィードバックフォームを送りましたが、返事はありませんでした。15歳の時のことです。

 

▼Mozillaとの出会い、そしてW3Cの仕様を知る

 

 同じ頃、妹のピアノ・レッスンが終わるのを待っていたとき、何気なく手に取ったPCマガジンに、Netscapeがソースコードを無償公開するとともに、これをサポートするMozilla Project(以下、Mozilla)を設立するという記事が載っていました。そこで初めて、誰でもソース・コードを編集できるオープンソースというものがあることを知ったのです。

 

 私はさっそくMozillaのウェブサイトに行って、マイルストーン・ビルド(重要な版)をダウンロードしてみました。しかしそれはとても不安定で、プレ・プレ・プレアルファのようなものでした。それでも、このテストビルドでは多くの新機能がサポートされていたので、いろいろ試してみることにしました。

 

 私が以前Netscape 4で見つけたバグはMozillaでは直っていました。これはMozillaではレンダリングエンジン(HTMLとCSSを解析してページ表示するモジュール)がGeckoに置き換わったためです。それでも私は別のバグを見つけました。そこでBugzilla(Mozillaのバグ管理システム)で報告することにしました。これがMozillaに関わった最初です。

 

 やがて私はBugzillaの常連になりました。誰かが書いた不明瞭なバグ報告を読み、どの部分が不十分で、何が間違っているのかを読み取ります。その上で、より良いテストケースやより良い説明を自分で書いて送り、開発者がバグを理解するのを助けました。つまり「バグトリアージ」をおこなった訳です。

 

 たとえば、「このウェブページがMozillaで動作しない」というように、具体的ではないレポートがあったとします。私はそのウェブページを見に行き、ソースコードを自分のパソコンにダウンロードします。

 

 ウェブページはたくさんのソースコードからできていて、とても複雑です。本当にそのウェブページに問題があったとしても、ソースコードのほとんどは正しいのです。しかし私の興味は壊れた部分にあります。

 

 そこで、私はまず正しく動くように見える部分のソースコードを削除し、リロード(再表示)します。うまく表示できれば、削除したソースコードは無視してよいのです。そうして壊れた部分だけになるまで、可能なかぎり正しい部分を削除していきます。残った問題のソースコードを、「単純化したテストケース」(simplified testcase) として、「このページはここの部分が壊れています。それがこのテストケースで分かります。その修正はこのようにすべきで、基づくべき仕様はここにあります」といった説明とともに開発者に送るのです。

 

 そのうち、仕様自体に問題を見つけるようになりました。曖昧な書き方をしていたり、2ヵ所で矛盾することが書かれていたり、意味のない定義が書いてあるところがありました。これは仕様の問題です。そんなことがきっかけで、CSSについて議論するW3Cのメーリングリスト “www-style”[6] に投稿するようになりました。2000年2月のことです。

 

 私が書いたGeckoのパッチが、初めて受け入れられたのは2001年、11年生(高校2年生)の時でした[7]。それ以来いくつものパッチを書きましたが、その中で最も興味深いのは、2004年に受け入れられたバグナンバー「4510」でしょう[8]。これは表組みの背景に関するものでした。これについて仕様書の記述は曖昧でした。だから、最初にCSS仕様の問題点をすべて説明するウェブページを作ることにしました。そして、どうすれば良いか、その理由とともに説明しました[9]

 

 私の提案が反映されて仕様が修正された後、私は自分でGeckoのバグを直しました。高校の終わりくらいから大学を卒業する頃にかけて、私はこういうことをやっていました。その当時、私は思っていました。「なんて楽しいの!」

 

――どうやら、あなたは大多数の女子高生とかなり違っていたようですね。

 

 はい(笑)。

 

――ネットの人々は、あなたをどのように見ていたと思いますか?

 

 あの当時、私が公開していたのはEメールアドレスと “fantasai” というハンドルネームだけでした。だから私の本当の名前はもちろん、女の子だということも、年令も、どこに住んでいるかも、誰も知りませんでした。たぶん多くの人が私を男性と思っていたでしょう。なぜなら、Mozillaプロジェクトに関わっていた99パーセント以上が男性だったからです。

 

 当時、私の本名で検索しても何もヒットしませんでした。Geckoのパッチを書いたとき、修正者の名前として私の本名をソースコードに入れましたが、それ以外、インターネット上ではエリカ・エテマッドという名前はどこにもありません。

 

――そんなあなたをご両親は心配されなかったのですか?

 

 いいえ、13、14歳の時、両親からはインターネットで本名を使ってはいけない、知らない人には気をつけなさいと言われました。それだけです。

 

――日本の女子高生の多くは、パソコンよりも友達と遊ぶ方を選ぶようですが?

 

 私にもベスト・フレンズがいました。4年生の時に友達になったAllison Wong。彼女が私にウェブページをオンラインで公開するよう勧めてくれました。それから、Melisaは中学校以来の親友でした。私たち3人はいつも一緒でした。

 

 私たちは日本のマンガやアニメが大好きで、とくにファイナルファンタジー7のビデオゲームに夢中でした。でもMozillaに関わるようになると、だんだんゲームをする時間は少なくなっていきました。

 

▼ “CSS3 Text” をきっかけに縦書きの研究をはじめる

 

――大学では土木工学を専攻していたと聞きました。

 

 高校までは、私は数学の教師になりたいと思っていました。しかし高校の授業で持続可能なグリーンビルディング(環境建築)のことを知って、大学では土木工学を学びたいと思いはじめました。そこで2002年秋にプリンストン大学に入ると、私は工学コースに申し込みました。

 

 最初、コンピュータは趣味でした。大学ではメインとして土木工学を専攻し、サブの専攻としてコンピュータを選択しました。しかし、大学でのコンピュータの授業はあまり面白いとは思えませんでした。私は理論に興味はなく、実践的なことをやりたかったんです。それから中国語も勉強しました。もともと入学当初は日本語を学ぶつもりでしたが、中国語コースの学生たちがにぎやかに勉強しているのを見て、そちらで学ぶことに決めました。今、日本語を勉強していますが、その経験はすごく役立っています。

 

――そんなあなたが、どうやって今の仕事をするようになったんですか?

 私が大学に入学した2002年の後半から2003年にかけて、 “CSS3 Text” が最終草案(Last Call Working Draft)[10]になりました[図1]。

[図1] W3C仕様における策定プロセス(※2014年8月にLCとCRは統合)

 その時のエディターはMichel Suignard(ミシェル・シグナード)というMicrosoftの人でした。その頃、私は国際化(システムを多言語・多文化に対応させる技術)についてよく理解しておらず、あまり役に立てるとは思わなかったけれど、スペルチェックをしたり文法を直したりする程度はできるだろうと思って仕様を読んでいました。すると、すぐに意味をなさない箇所がたくさんあることに気がつきました。それで “CSS3 Text” について、実質的なコメントを送るようになりました。

 その頃から “CSS3 Text” を読んで見つけた問題について、大学の東アジア図書館に行って調べ始めるようになりました。その時に助けてくれたのが、司書のMartin Heijdra(マーティン・ハイドラ)です[11]。彼は中国語とモンゴル語の組版の専門家でしたが、私のような質問をする学生は1人もいなかったので、とても喜んで一緒に縦書きと東アジアの言語について調べてくれました。

 

 モンゴル語は非常に興味深い言語です。縦書きで、行は左から右に読んでいき、しかもアラビア語と同じ、カーシブ・スクリプトと呼ばれる文字同士をつなげて書くタイプの文字体系です。調べながら私は、右から左、そして左から右という両方の書記方向を持つ双方向の言語(バイ・ダイ/BiDi)を、縦書きの中に埋め込むことに興味を持ちました。2003年の “CSS3 Text” 候補勧告は、縦書きでのBiDiの振る舞い、そしてモンゴル語に関しては非常に貧弱な仕様だったのです。

 

 当時の “CSS3 Text” は、いろいろな根本的問題を解決できていませんでした。また、その頃CSSワーキンググループはいろんなことを非公開で決めており、仕様のパブリック・レビューもおこなわれていませんでした。2003年に “CSS3 Text” を勧告候補に昇格させるとき、私はまだ十分なレビューがされておらず、報告されている問題が解決していないことを理由に強く反対しました。

 

 でも、私はCSSワーキンググループのメンバーではなかったので、公開のメーリングリストに自分の意見を投稿するくらいしか方法がありませんでした。だから問題を解決しないまま勧告候補として公開されたとき、私はとても怒りました(笑)[12]。そして、それからすぐにMichel SuignardはCSSワーキンググループから去っていきました。

 

 その翌年、2004年3月に私に大きなチャンスが訪れます。この年のTPAC(W3Cの年次総会)はフランスのカンヌでおこなわれました[13]。なんとCSSワーキンググループが、私をそのTPACに招いてくれたのです。

 

 ところがTPACが開かれるのは、ちょうど大学の中間試験の真っ最中でした。それでも開催期間は5日間しかないので、私は行くことに決めました。貯金の3分の2をはたいて、安チケットでパリに飛び、夜行列車でカンヌに入り、高価な会場ホテルの近くの安宿に泊まることにしました。

 

――ちょっと待ってください、試験はどうしたんですか?

 

 教授に頼み込んで日程を変えてもらいました。でも母はすごく怒りました。インターネットでしか会ったことのない人達に会うために、しかも試験の日程を変えてもらってまで外国に行くなんて! と言って(笑)。でも私は言いました。「マム、私は自分のお金で行くの。私を止めることはできないわ」

 

 そして私はCSSワーキンググループのメンバーに会ったのです。Ian Hickson、David Baron、Bert Bos、Håkon Lie……。当時、Ian HicksonはCSSワーキンググループの非常に活発なメンバーでした。ちょうどその頃、彼とはとても緊密に働いていたので、実際に彼に会うことができて、とてもうれしく思いました。それからTantek Çelik。当時、彼はマイクロソフトの代表で、Mac用のInternet Explorerを書いていました。

 

 それまで私はインターネットでとてもたくさんの時間を費やしていましたが、それについて私が人と話せたのはその時が初めてでした。私はとても幸せでした。

 

――若い女性が現れて彼等はビックリしませんでしたか?

 

 ええ、私もそう思いますが、彼らは言いました。「我々はきみの背が低いことに驚いているよ!」以前CSSワーキンググループのあるメンバーから、知的所有権の問題があるので、本名が必要だと言われて教えていました。だから彼等は私が女の子であることを、きっと知っていたのでしょう。

 

 この時の2004年TPACで、私はCSSワーキンググループのインバイテッド・エキスパート(招待された専門家:組織に属さないメンバーの呼称)になり、“CSS3 Text” のエディターになることが決まりました。

 

 その一方で、同じ年の夏休みに私はノルウェイに行き、ブラウザーベンダーとして注目されていたOpera Software(以下、Opera)でインターンとして働きました。これは、「WHATWG」(ワットダブルジー/Web Hypertext Application Technology Working Group)[14]が始まったのと同じ時期でした。

 

▼CSSワーキンググループのメンバーになる

 

 ここからしばらくは話が入り組むので、本人に代わって説明しよう。彼女の口から出た「WHATWG」とは、後に次世代のHTML仕様「HTML5」を生み出す団体のこと。その設立の直接のきっかけとなったのは、カンヌTPACからわずか1ヵ月後、2004年4月にサンノゼで開催されたW3Cのワークショップでの議論だった。

 

 このワークショップにおいて、W3CはXHTML2に専念しHTML4の保守を放棄することを明言した。これによりW3Cに見切りをつけたOpera、Apple、Mozillaのエンジニアは、自分達がWHATWGを結成し、後にHTML5となる仕様を作ることを決意する。その中心人物の1人、Ian Hicksonは当時Operaに在籍してしていた。Operaにインターンに行ったfantasaiは、WHATWGができていく過程を目の当たりにすることになる。

 

 Operaでのインターン体験はfantasaiに大きな収穫をもたらした。彼女はOperaで縦書き用の新しいシステムのデザインに3ヶ月間集中した。インターンシップを終えると、彼女は大学に戻り、Martin Heijdra司書の助けを借りながら、Operaでの経験をもとにウェブページで縦書きを実現するための研究をつづけた。そうして調べた結果を、少しずつ論文にまとめていった。

 

 その成果を発表したのが、2005年4月にベルリンで開かれたUnicodeカンファレンスだ[15]。彼女はそこで “Robust Vertical Text Layout and CSS3 Text”(強靱な縦書きレイアウトとCSS3 Text)と題するプレゼンテーションをおこない[16]、そこに偶然居合わせた小林龍生(当時ジャストシステム)と会話を交わすことになる。もともと書籍編集者でもある小林は、彼女の発表を見ていくつか組版上の不備を指摘したのだが、それに対するfantasaiの反応はどうだったのか、小林自身の文章により再現してもらおう。


  ぼくの質問に対するElika(引用者注:fantasai)の答えは、猛烈な逆質問だった。職業編集者としての経験があるとはいえ、組版や印刷現場については、しょせん素人に毛の生えた程度だったぼくの知識では、Elikaの質問に十全に答えることはできなかった。

(『W3C技術ノート 日本語組版処理の要件』W3C日本語組版タスクフォース、2012年、東京電機大学出版局、p.390)

 fantasaiの反問にうまく回答できなかった小林は、日本語組版ルールを日本人以外にも理解してもらうために、日本語と英語の両方で明文化する必要を痛感する。日本に帰った彼は各方面を奔走して開発チーム “JLTF”(Japanese Language Task Force)を立ち上げ、2008年に “Requirements for Japanese Text Layout”[17] (日本語組版処理の要件、以下JLReqと略)として、草案を発表するところまで漕ぎ着ける。

 

 そんな苦労の末に公表されたJLReq草案だが、しばらくの間は日本国内で注目されることはなかった。それまでも組版規格としては、1993年に初版、2004年に第3版が出たばかりのJIS X 4051「日本語文書の行組版方法」が既にあった。そんな中、英語で日本語組版ルールを書いて誰がうれしいの? というのが大方の感想だった。日本語組版は日本人しか知りたがらないはずという思い込みがあったのだ。

 

 そんな状況を一変させたのが、2010年の「電子書籍元年」だった。電子書籍の販売プラットフォームはAmazon、Apple、Googleといったアメリカ西海岸の多国籍企業が握っている。それらの電子書籍ビュアーで縦書きを実現するには、彼等が分かる英語による日本語組版ルールが必要だ。図らずも電子書籍元年によって、JLReqが必要とされる状況が到来したのだった。

 

 その後、2012年にJLReqは第1版が発表されるが[18]、その過程で開発チーム “JLTF” は、fantasaiの良き相談相手として、彼女の “CSS3 Text” 改訂作業も支えることになる。

 

 ここでまた、2005年のベルリンに話を戻そう。このとき主催者であるUnicodeコンソーシアムから発表を文書にまとめるよう依頼され、fantasaiは大学に提出するつもりで書き進めていた論文を渡すことにした。これが現在見ることができる “Unicode Technical Note #22”(UTN #22) [19]だ。これは5年後、fantasaiが日本で “CSS3 Text” を改訂するとき、重要な出発点となる。

 

 やがてWHATWGの活動が成果を出しはじめるとともに、Ian HicksonはCSSよりもHTML5に専念することになる。当時fantasaiもCSSとHTML5の両方に関わっていたが、Ian Hicksonが抜けたことで彼女はより深くCSSに関わるようになった。fantasaiは、それまでIan Hicksonが担当していたCSS 2.1(後述)の開発業務を、少しずつ引き継いでいくことになる。

 

 2006年5月、fantasaiは “Bachelor of Science in Engineering with concentration in Civil and Environmental Engineering” (土木及び環境工学専攻工学理学士)の学位を取得し、ぶじに卒業した。彼女は2年後、EIT試験というさらに上級の土木技術者試験にパスする。そんなキャリアがあるのだから、建築会社に就職すれば安定した生活が待っていたかもしれない。しかし、彼女は結局その道を選ぶことはなかった。

 

 fantasaiは卒業してしばらく旅行を楽しんだ後、どこの組織にも属さず、個人としてCSS策定に関わることに決める。翌2007年からHewlett Packard(HP)とMozillaの印刷に関するバグ修正を請け負う契約を結ぶが、これが彼女が得た初めての仕事となる。

 

 その当時、CSSワーキンググループは、現行の “CSS 2” に残る曖昧な部分を一掃するため “CSS 2.1”[20] を作ろうとしていた。やがて彼女はそのためのイシュー・トラッキング(問題箇所の洗い出し)用のシステムや、テスト用ファイルやアプリケーションを作る作業を、中心になってすすめるようになった。

 

 “CSS 2.1” は明確化が目的だから、技術的な面白さは希薄かもしれない。それでもその次のバージョン、“CSS 3” へ発展する土台となるべきものだ。“CSS3 Text” のように高度な機能を規定するためにも、“CSS 2.1” に曖昧な部分があってはならない。カンヌ会議で “CSS3 Text” のエディターについたfantasaiだが、しばらく “CSS3 Text” から遠ざかることになった。

 

▼W3Cの活動に個人として参加するとは

 さて、ここで再びfantasai自身に語ってもらうが、その前に2005年から2010年にかけて、彼女が “CSS3 Text” の改訂作業ができなかったことの意味について少し考えたい。

 まず思い起こさなければならないのは、彼女は個人(Invited Expert/インバイテッド・エキスパート)の資格でW3Cに参加していることだ。W3Cの収益の多くを占めるのは、企業や大学、業界団体などからの会費収入だ[21]。W3Cの活動を支えているのは、そうした団体から派遣されてきたメンバーだ。つまりW3Cでは、彼女のように個人で参加しているのは少数派なのだ。そんな彼女が大学卒業後の仕事としてW3C(CSSワーキンググループ)の活動を選んだ。そこにはやはりCSSの策定、とくに “CSS3 Text” 全面改訂への強い思いがあったのだろう。

 しかし組織から給料が出るわけでもない彼女が、自分の時間をW3Cの活動に費そうとすれば、そのW3Cの活動からなんらかの報酬を得なければならない。後述するが、fantasaiはMozillaから “CSS 2.1” の仕様を書く契約を、MicrosoftからInternet Explorerや “CSS 2.1” 用のテストツール作成を受託している。


 彼女の素晴らしいところは、“CSS 2.1” の作業中も報酬が出るとは思えない “CSS3 Text” を前進させていることだ。彼女はエディター就任直後の2005年6月27日に “CSS3 Text” を小幅ながら改訂した後、2007年3月6日にやはり小幅な改訂をしている。その次に彼女が改訂するのは3年後、来日した2010年10月5日のこと。この間の5年間、ただ彼女だけが “CSS3 Text” の推進力だったのだ。


 とはいえ、本当に自分は “CSS3 Text” の全面改訂などできるのだろうか? 当時の彼女にできることは、いつかその日が来るのを信じることだけだった。


▼日本で “CSS3 Text” の改訂作業を再開

――2010年に来日するいきさつを教えていただけませんか。


 2005年から2010年の間、私はCSS 2.1に集中していたため、“CSS3 Text” に関してはあまり働けませんでした。ところが、とても幸運なことに2010年の秋に長い休みがとれました。“CSS 2.1” の作業も、他の人達にまかせられるところまで来ていました。また、“CSS 2.1” の開発に関連してMozilla、Microsoftとむすんでいた契約が、ちょうど終わった頃でした。そんなわけで、ポッカリと時間が空きました。


 そんな時、EPUB 3のための緊急性が高い課題として、縦書きと日本語組版ルールをが浮上しました。それで、ひさしぶりに私は “CSS3 Text” の仕事に戻ることができたというわけです。


 日本に来た時点では、いったい誰が私の滞在費や旅費を支払ってくれるのか、全く分からなかったのですが(笑)、とにかく日本に行ってよかったと思っています。


――日本での滞在期間は?


 2010年9月19日に成田に降り立ち、10月17日に帰国しました。


――日本ではどんな毎日を過ごしていたのでしょう。

 豊島区にある “Family Inn Saiko” [22]という、ネット予約できる外国人向けの安い民宿に泊まっていました。たぶん今でも私を覚えてくれているはずです。そこから私は新宿にあるIT企業、イーストに通いました。私に与えられたのは「4C」という小さな会議室で、そこでムラカミサン(村上真雄)やコージ(石井宏治)と一緒に “CSS3 Text” を書き直す仕事をしたのです。

 

 

▼引き寄せられるようにして集まった3人

 

――ここで通訳をお願いした、村上真雄さんにも発言していただきます。まず簡単に自己紹介をお願いできませんか。

 

 私はエンジニアとして、1990年代から自動組版の仕事をしてきました。ですから日本語組版はずっと変わらないテーマです。1999年にはXML自動組版ソフトの開発をアンテナハウスに企画提案し、“Antenna House Formatter” として製品化されています。その過程でCSSについて勉強するようになり、それで “www-style” にも投稿するようになりました。fantasaiとはオンラインでよく議論しましたが、リアルで会ったのは、2006年ドイツのハイデルベルクで開かれたW3Cの会議が最初だと思います。


 EPUBには以前から興味を持っていましたが、2010年3月に日本電子出版協会(JEPA)EPUB研究会のリーダーだった村田真さんから連絡をもらい、日本語組版に対応するための拡張をするというので即座に参加を決めました。村田さんが声をかけてくれたのは、同じ頃、私がCSSワーキンググループで “CSS3 Text” の共同エディター(co-editor)に就任していたことも大きいと思います。


 2010年6月に村田さんと一緒に「EPUB仕様の日本語組版拡張を目指して(Version 0.8)」[23]というものを発表しました。そこでは「標準化戦略」としてW3CのCSSワーキンググループに働きかけることが目標とされています。そんな中でfantasaiが来日することが分かったのです。


――日本の誰かがfantasaiを呼んだのかと思っていました。


 いいえ、もともと別の目的で来日する予定が彼女にありました。私も “CSS3 Text” の共同エディターになったばかりだったので、日本に来るならぜひ会って議論しようということになっていました。それを知った村田さんとイーストの下川社長が彼女にカンヅメになってもらい、集中的に “CSS3 Text” の改訂をしてもらおうと言い出したのです。


――石井宏治さんとはいつ知り合ったのでしょうか。

 同じ年の7月です。fantasai来日の直前ですね。その頃私は縦書きやEPUBについてTwitterやメーリングリストによく投稿していたのですが、それをみて石井さんの方からコンタクトをとってきてくれたのです。

 石井さんの投稿を読んで、有能なエンジニアだとは思ってました。しかし実際に会ってみたら、1990年代にシアトルのMicrosoft本社でWordの開発チームにいたことを知ってびっくりしました。 “CSS3 Text” はもともとWordのチームがCSSに持ち込んだのが始まりです。石井さんはCSS縦書き仕様の大元にいたわけです。

 

――すごいですね。電子書籍元年によって突然日本でEPUB 3で縦書きを実現しなければならない状況が生じた[24]。一方で長年 “CSS3 Text” 改訂を宿願としていたfantasaiが、偶然そのタイミングで日本に来ることになった。そこに1990年代から縦書きや日本語組版の開発をしてきた2人の日本人エンジニアが加わり、まるで引き寄せられるようにして日本で一緒に仕事をした。

 

 石井さんもすぐに “CSS3 Text” の共同エディターに就任することになります。私は会社の事情もあって、2011年9月にCSSのエディターを辞めないといけなくなるのですが、その後を石井さんがスムーズに引き継いでくれたので、本当に助かりました。


▼日本でのfantasaiの仕事ぶり 

――fantasaiへの質問に戻りましょう。イーストでの改訂作業はどのように進められたのですか。

 

 イーストで “CSS3 Text” を改訂したとき、現行の“CSS3 Text” に内在する全ての問題を解決するため、完全に書き換えることにしました。私たちはUTN # 22の縦書きテキストモデルを基礎に、そこにいくつかの修正を加え、実装とフォントシステム・モデルがより良く連繫するよう調整しました。​

 

 コージとムラカミサンと私は、"CSS3 Text"に、フィードバックとレビューに基づきながら仕様を改訂していきました。仕様を安定させるには多くの時間がかかります。そのためには全てのことを正しく行い、全てのフィードバックを取り込み、そうすることで最後に優れたデザインができます。

 

 縦書きとBiDiに関する規定については、独立させて別の仕様にすることが、私がエディターになった後に決まっていました。ですから2005年の “CSS3 Text” 改訂では、それらに関する規定を外してました。この時の全面改訂で、ようやく “CSS3 Writing Modes”として最初の草案を出版することができました。

​​2011年には縦書きにおける個々の文字の向きを定義するべきだというフィードバックがあり、Unicodeコンソーシアムと連繫して “UTR #50“[25] の策定プロセスが開始されました。さらに、下線 や圏点など文字装飾の規定も独立させることにし、これが2012年に“CSS3 Text Decoration Module”[26] となりました。これら4つの仕様は、日本語レイアウトにCSSを適応させるための中核です。[図2]

[図2] “CSS3 Text” の改訂とその分岐(1999年〜2013年)

 “CSS3 Text” の改訂だけが私の仕事ではありませんでした。この時の “CSS3 Text” 改訂の大きな目的は、EPUB3で引用されるためのものです。そこで私は、CSSワーキンググループと、EPUBワーキンググループ(IDPF)のリエゾン(連絡役)になりました。CSSワーキンググループに関しては当然ですが、私はEPUBワーキンググループの制約と要件についてもよく理解できていたので、EPUBが国際的なテキストレイアウトの目標を達成するのを助けるため、互いを同期させることができました。

――あなたが2010年に日本に来なかったら、事態はどういうふうになっていたと思いますか?

 EPUB 3の策定はもっと遅れていたでしょう。

 

――インターネットが普及した現代、対面して作業するメリットはありますか?

 

 同じ場所でムラカミサンやコージと一緒に働いたことで、たくさんの問題を話し合いながら、すばやく草案にまとめていく作業が簡単にできました。いつも一緒に話し合い、すぐそばで作業できたおかげで、より効率的に多くの時間をストレスなく過ごすことができました。コージと私がイーストのビルを出るのが毎日真夜中になってしまったとしても、日本で過ごした1ヵ月、私はとてもエンジョイしました。

 

――以前あなたは、“CSS3 Text” を改訂したのは、縦書きや日本語組版を実現するためではなく、CSSを国際化するためだったと言っていましたね。

 

 はい、私の関心は日本語だけでなく、全ての言語にあります。

 

――では、あなたにとってCSSのゴールはなんですか?

 

 全ての人のため、CSSをベストなものにしたいと思っています。ある特定の言語のためだけにCSSをデザインしてしまうと、それ以外の言語に対応させようとする際、基本デザインが合わなくなってうまく拡張できなくなります。大切なことは、全ての要求を同時に考えておくことです。そうしてできた基本デザインは、他の言語に拡張する際でも簡単に対応できます。

 

 これはまた、私がEPUBのために頑張っている理由とも関係します。私はEPUBにはCSSの機能が、まさに「今」必要であると気づきました。もし私たちがCSSワーキンググループとEPUBグループの関係をうまく調整できなければ、EPUBは自分達が使いやすいように独自の規定を作ってしまうでしょうし、CSSもEPUBを無視して勝手に進めてしまうでしょう。それでは2つのCSSができてしまいます。

 すべてが一緒に機能して合理的に動作するよう、調和のとれたCSSにデザインすることが私の役割だと思っています。

付記


関係者の尽力により、fantasaiへは平成23年度「電子出版環境整備事業(新ICT利活用サービス創出支援事業)EPUB日本語拡張仕様策定」[27]等により報酬が支払われた。

 

1……インプレスホールディングス「電子書籍ビジネス調査報告書2013発行 2012年度の新プラットフォーム向け電子書籍市場規模は368億円でケータイ向けを逆転」2013/06/27 (https://japan.cnet.com/release/30046657/)[2018/9/3閲覧]

2……W3C “CSS Writing Modes Module Level 3” Last Call Working Draft, 2013/11/26 (https://www.w3.org/TR/2013/WD-css-writing-modes-3-20131126/)(古い版だが和訳は以下を参照 http://suzukima.github.io/css-ja/css3-text/)[2018/9/3閲覧]

3……W3C “CSS Text Module Level 3” W3C Last Call Working Draft, 2013/10/10  (https://www.w3.org/TR/2013/WD-css-text-3-20131010/)(古い版だが和訳は以下を参照 http://suzukima.github.io/css-ja/css3-writing-modes/)[2018/9/3閲覧]

4……Laura Lemay “Teach Yourself Web Publishing With Html in a Week” 1997/9/1 (http://www.amazon.co.jp/dp/1575213362)[2018/9/3閲覧]

5……fantasai “Welcome to Fantasai's HTML Quick Reference” (http://fantasai.tripod.com/)(本人によるとurlは当時のままだが、デザインは2000年前後のものとのこと)[2018/9/3閲覧]

6……W3C “www-style@w3.org Mail Archives” (https://lists.w3.org/Archives/Public/www-style/)[2018/9/3閲覧]

7……Mozilla “Bug 43220 [CASCADE]author !important rules override user !important rules in user.css” (https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=43220)(Google翻訳による粗い和訳は以下を参照 https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&tl=ja&u=https%3A%2F%2Fbugzilla.mozilla.org%2Fshow_bug.cgi%3Fid%3D43220)[2018/9/4閲覧]

8……Mozilla “Bug 4510 table, row, column, *-group backgrounds not working correctly (<col>, <colgroup>, table, style, background)” (https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=4510)(Google翻訳による粗い和訳は以下を参照 https://translate.google.co.jp/translate?sl=en&tl=ja&js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&u=https%3A%2F%2Fbugzilla.mozilla.org%2Fshow_bug.cgi%3Fid%3D4510%23c186&edit-text=&act=url)[2018/9/4閲覧]

9……fantasai “Ambiguities in CSS2 Table Backgrounds” (http://fantasai.inkedblade.net/style/discuss/table-backgrounds/)[2018/9/3閲覧]

10……W3C “CSS3 module: text” W3C Working Draft, 2003/2/26 (https://www.w3.org/TR/2003/WD-css3-text-20030226/)[2018/9/3閲覧]

11……Princeton University Library “Martin Heijdra” (http://library.princeton.edu/collections/people/martin-heijdra)[2018/9/3閲覧]

12……fantasai “Re: [css3-text] Before It Becomes a PR” 2003/8/14 (https://lists.w3.org/Archives/Public/www-style/2003Jul/0146.html)(Google翻訳による粗い和訳は以下を参照 https://translate.google.co.jp/translate?sl=en&tl=ja&js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&u=https%3A%2F%2Flists.w3.org%2FArchives%2FPublic%2Fwww-style%2F2003Jul%2F0146.html&edit-text=&act=url)[2018/9/3閲覧]

13……W3C “Technical Plenary and WG Meeting Week” Hotel Royal Casino / Cannes-Mandelieu FRANCE, 2004/3/1-5 (http://www.w3.org/2003/08/allgroupoverview.html)[2018/9/3閲覧]

14……Futomi Hatano 「WHATWG FAQ」 2011/01/25 (http://www.html5.jp/trans/whatwg_html5faq.html#What_is_the_WHATWG.3F)[2018/9/3閲覧]

15……Unicode “IUC 27 Unicode, Cultural Diversity, and Multilingual Computing” 2005/4/6-8, Berlin, Germany (http://www.unicode.org/iuc/iuc27/)[2018/9/3閲覧]

16……Unicode “Robust Vertical Text Layout and CSS3 Text: Using the Unicode BIDI Algorithm to Handle Complexities in Typesetting Multi-Script Vertical Text” (http://www.unicode.org/iuc/iuc27/biosabstracts/a339.html)[2018/9/3閲覧]

17……W3C “Requirements of Japanese Text Layout” W3C Working Draft, 2008/10/15 (https://www.w3.org/TR/2008/WD-jlreq-20081015/)(日本語版は https://www.w3.org/TR/2008/WD-jlreq-20081015/ja/)[2018/9/3閲覧]

18……W3C “Requirements for Japanese Text Layout” W3C Working Group Note, 2012/4/3  (http://www.w3.org/TR/2012/NOTE-jlreq-20120403/) (日本語版は https://www.w3.org/TR/2012/NOTE-jlreq-20120403/ja/)[2018/9/3閲覧]

19……Elika J. Etemad “Unicode Technical Note #22 Robust Vertical Text Layout” 2005/4/25 (http://unicode.org/notes/tn22/)[2018/9/3閲覧]

20……W3C “Cascading Style Sheets Level 2 Revision 1 (CSS 2.1) Specification” W3C Recommendation 2011/6/7 (https://www.w3.org/TR/CSS2/) [2018/9/3閲覧]

21……W3C “Membership Fees - W3C” (https://www.w3.org/Consortium/fees)[2018/9/3閲覧]

22……“Family Inn Saiko” (http://www.familyinnsaiko.com/)

23……日本電子出版協会他「EPUB仕様の日本語組版拡張を目指して(Version 0.8)」2010/6/1 (http://nadita.com/murakami/epub/epub_JapaneseTextLayout_ja.html)[2018/9/3閲覧]

24……当時の状況を知るには、当事者達が年表形式でまとめた記事、村田真「日誌 =世界のブラウザが縦書きになった理由=」(https://web.archive.org/web/20161018055603/http://www.epubcafe.jp:80/egls/log)[2018/9/5閲覧]が参考になる。

25……Unicode “Unicode Properties for Horizontal and Vertical Text Layout” Proposed Draft Unicode Technical Report #50 2012/10/28 (http://www.unicode.org/reports/tr50/tr50-8.html)[2018/9/3閲覧]

26……W3C “CSS Text Decoration Module Level 3” W3C Candidate Recommendation 2013/7/1 (https://www.w3.org/TR/2013/CR-css-text-decor-3-20130801/)[2018/9/3閲覧]

27……総務省「電子出版環境整備事業(新ICT利活用サービス創出支援事業)」(http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/ictriyou/shinict.html)[2018/9/5閲覧]